Atelier de オジィ

ひろオジィの作業小屋雑記帖 

ステーキを食い続ける

まだ僕が高校生だったころ、往年のピアニスト(すなわちコルトーとかホフマンとかそんな時代)の残した名演奏ならぬ「名文句」から彼らの一面を描いた・・・ような本を読んだ記憶がある。その中で今も覚えているのは(それを言ったピアニストの名は覚えていない)「ベートーヴェンばかりで一夜のリサイタルを構成するのはステーキを何枚も食べさせるようなものだ」といった意味のことだった。

小品を別にしてベートーヴェン32曲のソナタだけから1つのリサイタルを構成するにしても最後のソナタ3曲をセットで演奏するというのはしばしばおこなわれているようだ。それに生涯を通して作曲された32曲がそれぞれに重要で変化に富んでいることはいうまでもなく、一夜のオールベートーヴェンプロは私としてはいいと思う。
しかし延々ステーキを食わされているように感じるとすれば、むしろそれは奏者のせい、というか演奏者独自の音色やアーティキュレーションに責任(?)があるんじゃないだろうか。

シューベルトについては3大歌曲集以外に膨大な数の歌曲があるが、自分はいくつかの著名な(ゲーテの詩によるものとか)曲以外はあんまり知らなかった、というかCDでまとめて聴くということがやや困難に思われた。フィッシャー・ディースカウ大先生による「歌曲全集」があることは知っていたが、ディースカウの歌唱で延々10枚以上のCDを聴き続けることに対して、僕をひるませるものがあった訳だ・・・ディースカウ氏が嫌いということではなくて、すなわち(好きだけど)ステーキを食い続けなくてはならない笑

そんな僕もつい1年少し前のこと、全集ではないけれども個人のシューベルト歌曲選集としては大きなボックスセットであるコレを買った。以来何度も聴いたが、先週からふたたび毎日のように聴いている。

ゲルネのシューベルトボックス

三大歌曲集以外のシューベルトの歌曲は、以前からイアン・ボストリッジとクリストフ・プレガルディエンの録音にお気に入りが多く、比較的最近ではマーク・パドモアも素晴らしいと思っている。いずれにせよテノールで、やはりシューベルト歌曲の多くはテノール(すなわち殆どシューベルトの原調ということになる)が自分には受け入れやすい。
その意味で、非常に有名な例では An Die Musik (D.547) 邦訳で楽に寄す、音楽に寄せて、を聴いてみましょう。
これは原調はニ長調で、例えばボストリッジ(伴奏ジュリアス・ドレイク)で聴くと内なるというか、秘めた憧れのような感覚が伴奏を含めて薫り立つかのようであるがこれはニ長調という調性ならではだと私は思う。
しかしバリトン歌手にかかると当然キーは下げられるわけで、ゲルネ様の場合ハ長調となる。この曲の歌詞は「音楽よ、芸術よありがとう」みたいなある意味ベタいといえなくもないが、それをゲルネ様の「ビロードのような」(と讃えられているのを見た)豊かな美声で、しかもハ長調で歌われると、私なんか本棚の前で演説するガーエフかよ・・・(チェーホフ 桜の園 第一幕でガーエフが古い本棚を前に芝居じみた感謝のセリフを詠唱するくだり)・・・ってごめんなさいごめんなさい。

時々(曲によっては)そう思いながらも、やっぱりゲルネは素晴らしい。やっぱりステーキ(沖縄のステーキハウスチェーン)ってとこですかね。またこのシリーズではピアニストが多彩であることも興味深いですが、しかし何と言っても3大歌曲集で組んだクリストフ・エッシェンバッハの伴奏は特筆に値する。これについては後日また書きます。


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